カテゴリ:レトロ通信( 10 )
高層ビルと東京の眺望の歴史
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こちらの写真、どこの風景だと思いますか?これは霞が関ビル36Fの霞が関東京會舘からお台場方面を撮影したものです。右端に東京タワーが写っています。「あれ?観覧車も、レインボーブリッジもない!?」とお気づきになりましたか?
そう、これはレインボーブリッジも観覧車もない時代、昭和43年に霞が関ビルが竣工した時の風景なのです。レストランレインボーがある、浜松町世界貿易センタービルができるのもこの2年後です。
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もう一枚の写真には、右上のお堀沿いに、東京會舘本舘の旧舘が写っています。この2年後に、新本舘建設がはじまります。
周りにまだ高層ビルがなく、皇居の緑がきっと綺麗に見えたことでしょうね。
東京の街も、ここ数十年の間にあっという間にできたのだなあと感じました。 ★K

※霞が関東京會舘は2008年3月31日をもちまして終了いたしました。
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by kaikanad | 2008-02-25 16:37 | レトロ通信
素敵な写真を見つけました。          
以前、タブロイド版のPR紙についてご紹介させていただきました。
このタブロイド誌Vol.01の一番最後のページに、東京會舘の旧舘の写真が載っています。セピア色で素敵な写真です。
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この写真について、先日お客様から「とても素敵な建物なので、誰が設計したのかをぜひ教えてほしい!」というお問い合せをいただきました。調べていくうちに、もう一枚玄関前の素敵な写真を発見しましたので、ぜひご紹介したいと思います。黒塗りのレトロな車や、ベルボーイが写っているところがかっこいい写真です。
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設計者は『田辺淳吉』『草間市太郎』。大正9年4月、清水組による起工式で、建設がスタートしました。
工期は2年6ヶ月、大正11年に完成です。764.45坪の土地に、建坪(建物が建っている地面の面積)は512坪、半地下1階、地上5階建ての、コの字型のルネッサンス様式の建物です。同じ大正11年に付近で完成された建物は、三菱銀行本店(丸の内)、帝國ホテル新館(日比谷)、報知新聞社(丸の内)などがあります。 ★K
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by kaikanad | 2007-09-04 17:10 | レトロ通信
一万円札の福沢諭吉像。
c0100275_11361066.jpg現在東京會舘本舘10Fにある、五十嵐写真店さんと、東京會舘とは古い古いお付き合い。GHQの接収やら戦争やらの時代からお世話になっています。こちらのお店には、すごいものがあると、以前から噂に聞いていました。すごいものとは、何やらお札にまつわるお話との事・・・

打ち合わせに伺った折に、思いきって、室長にお尋ねしてみることにしました。 「ところで、こちらにはお札にまつわるすごいものがあると聞いたのですが・・・」「これですよ!これ!一万円札の福沢諭吉像の、元になった写真がこちらなんです。」うわさのものは、お店に入ってすぐの壁にかかっていました。

明治時代、新橋の土橋のあたりに、現在の「五十嵐写真店」の前身である「江木写真店」がありました。そして、この福沢諭吉像は、この「江木写真店」で撮られた写真を模写したものだそうなのです!現在はこの写真自体は慶応大学に保存されているそうです。この他にも、五十嵐写真店には、渋沢栄一や詩人タゴールなど、国内外を問わず要人の撮影を任されたという歴史があるそうです。当時「江木写真店」で活躍していた五十嵐與七さん(五十嵐写真店の創立者)は明治時代にニューヨークに修行に行き、開業まで果たしたというバイタリティ溢れた方。英語も堪能で、帰国後も政府の要人の撮影依頼がたくさんあったそうです。
東京會舘にエリザベス女王がいらしたときも、もちろん五十嵐さんに撮影をお願いしています。(その時のお写真は東京會舘1Fロビーに飾られています。)
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歴史と逸話にあふれた五十嵐写真店。その凄さに触れるきっかけを与えてくれた、壁の一万円札の福沢諭吉。ここぞ!という時は、こんな立派な写真屋さんにお願いしたいと、ついついお客様気分になってしまいました・・・ ★K
※右側の写真は五十嵐写真店創立者「五十嵐與七」さんです。
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by kaikanad | 2007-05-25 11:47 | レトロ通信
旧舘のカタチ
c0100275_9481192.jpg今年創業85周年を迎える 東京會舘です。大正11年11月のオープンから昭和45年2月までの48年間、ルネッサンス様式の5階建ての建物で営業をしていました。(現在の建物は、昭和46年12月から営業をスタートし、今年で36年です。)
その建物は、格調高い国際社交場の建設を目指した設立者の思いが込められた、非常に華やかな作りで、道行く人の目を引き寄せずにはおかなかったそうです。
大理石貼りのロビー、花模様のステンドグラスのドア、英国風酒場、ビリヤード場、能舞台付きの大宴会場、書院造りの和室は西陣織の壁紙に金襖、喫煙室、新聞・雑誌の閲覧室・・・そして宿泊施設もあったそうです。また屋上には噴水や池までも。その当時としてはかなり豪華な造りだったのではないでしょうか。う~ん、すご過ぎる施設です。さぞかし優雅なことであったでしょう。一度入ってみたかった・・・。非常に残念です。
c0100275_9492144.jpgいまはもうないその優雅な姿は、小さな建築模型となって面影を伝えています。2階のレストランプルニエのロビーに展示されていますので、お越しの際はぜひご覧くださいね。 ★S
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by kaikanad | 2007-05-22 09:51 | レトロ通信
DMで見よう!東京會舘の歴史。
c0100275_101569.jpgこちらは昭和34年~37年にかけて、日比谷で営業していた『クラブプルニエ』のDMです。「冷房完備」という言葉が印象的!当時、冷房設備がある飲食施設ばかりではなかったということですね。

c0100275_101233.jpgこちらは1965年、昭和40年の東京會舘旧本舘のDMです。トリコロールの色使いがレトロでかわいらしいですね。裏を見ると、住所が「丸ノ内三丁目十四番地」とあり、現在の住所とは違うのがわかります。

c0100275_104418.jpgそして同じ昭和40年に、 『銀座スカイラウンジ』も誕生しました。「東京ニューセンター15階」とあります。現在の「東京交通会館」のことですね。営業時間はなんと9:30~24:00まで!今よりさらにフル回転です!

c0100275_1075085.jpgこちらはその5年後、昭和45年のものです。旧本舘の四階にあったローズルームが背景になっています。シャンデリアが3基、バックに輝いています。

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その2年後の昭和47年には、 『中国料理 東苑』が開店しました。文面に「新装なった東京會舘地階に、戦前のように又中国料理〈東苑〉が、開店しました。」とあります。戦後復興の雰囲気がでていますね!

これらのDMを見ていて、東京會舘だけでなく、東京の歴史も垣間見たような気分になりました。私達が現在作製しているDMも、このようにものめずらしがられる日が来るのかな・・★K
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by kaikanad | 2007-03-22 10:23 | レトロ通信
いすゞベレットが当たる、屋上納涼園!?
c0100275_10252472.jpg先日、大昔の資料を整頓していると、こんなレトロなDMを発見しました!よくよくみてみると、「いすゞベレットがあたる屋上納涼園」と書いてあります。地味に書いてはありますが、自動車が当たってしまう納涼園だなんて、考えてみればすごい!私は頭の中で、現代のビアガーデンのようなものを想像しました。このDMが作られたのは昭和39年、東京オリンピックが開催された年です。社史を調べてみると、「『屋上納涼園』はコンクリート上に土を盛り、植木や植物を植え、滝や川、橋をかけた美しい日本庭園で、周囲には提灯、風鈴の音や虫の声が聞こえる中で、フランス料理やすきやきを楽しんだ。」とありました。なるほど、なかなか豪華なものだったのですね。そういえば、このDMにも滝やら、水車やらが描かれています。一方「いすゞベレット」は東京オリンピックに向けて首都高速が開通した1963年に新開発された、5人乗りの乗用車です。こんな豪華な景品があたる納涼園・・・今では考えられませんね!
当時の抽選会の写真も発見しました。
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目隠しをしてたくさんある紙の中から1枚を選んでいるこの女性は一体誰なのでしょう?そしてまわりを取り囲む男性陣は・・・ベレットを手に入れたこの男性はどちらの紳士でしょうか?なんとも楽しげな様子が伝わってくる、2枚の写真なのでした。 ★K
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by kaikanad | 2007-03-12 10:35 | レトロ通信
あの日、あの時代を生きた大切な記憶。
c0100275_92847100.jpg年代物のアルバムを開くと、今も東京會舘のシンボルとしてその姿を残すシャンデリアの写真を見つけました。今年85周年を迎える東京會舘の歴史を、古い写真が物語っています。このシャンデリアは、関東大震災で被害を受けた旧舘にあったもので、いまの新舘に生まれ変わる以前の写真です。今は、チャペルのある12階の吹きのけのホワイエで目にすることができます。写真が撮られた当時は、宴会場に3基が設置されていたようですが、現在は唯一、ここだけにしかない貴重な1基となっています。現在放映される映画マリー・アントワネットが生きていた時代、豪華なドレスに身を包んだ貴婦人たちが集うダンスパーティが催されたであろう、そんな想像をふくらませてくれる豪華な装飾が施されたシャンデリア。チェコ製のもので、今ではもう職人さんがいないのだそうです。c0100275_929535.jpg
話はちょっと変わりますが、あの悲劇の豪華客船「タイタニック号」が沈没してから、100年近く経った後、海底からルイ・ヴィトン製のトランクが発見され、その防水性の高さから中に入っていたものも無事であったという話はご存知の方も多いかもしれません。シャンデリアの写真を見ていて、「作りの良さ」が証明されたそんなエピソードを思い出しました。
ふと、写真のシャンデリアが設置されている天井の柄を「どこかで見たような?」と記憶の糸をたどって、ハッとしました。東京會舘1階のメインバーや宴会場などで出されているお飲み物の下に敷くコースターの柄と、まったく同じではありませんか!c0100275_9292165.jpg古きよき時代のストーリーを、今も大切にしていることを知って、とってもハッピーな気分になりました。皆さんの中にも、東京會舘について「昔初めてのデートで使ったことがあってね」とか、「結婚式を挙げたんだよ」など懐かしい思い出のエピソードがありましたら、私たちにそっと教えていただけたらうれしいです。★H
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by kaikanad | 2007-01-29 09:39 | レトロ通信
今も昔も、東京會舘のフランス風銘菓ガトーをどうぞ    
貴重な資料を発見しました!これは昭和30年代に販売を開始した、お菓子の写真です。
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昭和30年代といえば、石原慎太郎の『太陽の季節』が大流行した時代、『もはや戦後ではない』という文句が経済白書に登場し、戦後の復興期が終了したとみなされた時代でした。まだカラー写真が難しい時代だったのですね。洋風のお菓子文化が日本に入ってきたばかりの時代だったのでしょう。ガトーの写真をよく見てみると(写真左)、中には現在東京會舘で販売しているプティガトー(写真中)と、ほとんど同じような形のクッキーもあります。ドーナツはとってもシンプルなパッケージです。
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これは、DMです。ちょっと褪せた様な色合いがレトロで可愛らしいですよね。価格は小缶500円、中缶750円、大缶1,000円とあります。当時の大卒サラリーマンの初任給は約1万円、新聞の購読料が月330円だったという時代に、1つ1つ手作りされた高級志向の洋菓子として販売されていたものです。きっと大事な方へのお土産として買われていたのだと思います。化粧箱には華麗さを象徴させる、当時一般にはまだ知られていなかった高級花のカトレアが大きく描かれています。東京會舘の中ではよく目にする「カトレア」ですが(クッキングスクール:カトレア会、宴会場:カトレアルームなど)この当時からすでに使われていました。
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これらの写真を眺めていて、東京會舘の長い歴史を感じつつ、現在の商品にも受け継がれている部分があるのだなあとしみじみ感じました。★K
 
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by kaikanad | 2007-01-25 10:31 | レトロ通信
銀行倶楽部
東京會舘は丸の内の本舘以外にも営業所がありますが、今日はそのうちのひとつ「銀行倶楽部」 についてご紹介します。
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銀行倶楽部は明治32年の創設以来、銀行家や政治家、財界人などが集うサロンとして親しまれていました。赤レンガ造りの洋館、明治村でみたことあるかも・・・・といった外観。そのクラシカルなたたずまいがしっくりと丸の内の町並みにとけこんでいます。初めてみたときは、ちょっぴりジーンとしてしまいました。新しい、スタイリッシュな建物もカッコよくていいのですが、こういう雰囲気の建物もいつまでも大事にしてゆきたいなと思って・・・。
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建物の中に足を踏み入れると、また風格のある入口に迎えられます。この東京銀行協会ビルヂングには平成5年に移築しましたが、外観や調度品はそのまま残されました。入口からまっすぐにのびる階段。決して長くはないものですが、どっしりしとした重厚なたたずまいは大いなる存在感。階段をあがる、その背筋も思わずピン!とのびてしまいます。階段の柱にはバロック様式の彫刻がほどこされ、マントルピース、石柱・・・と随所に歴史の息吹を感じる調度品が・・・。「この辺に傷ついちゃってね」とスタッフは嘆きますがその傷にも刻まれた歴史を感じます。
丸の内の町並みとともにいつの時代になってもその趣深い姿がみられますように・・・。★J
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by kaikanad | 2006-12-07 13:25 | レトロ通信
でました!72年前のプルニエメニューでございます。
玄関係より、「ロビーを掃除していたら旧館時代のメニューを大量に発見しました!」という内線があり、ふたをあけてみますと、な、なんと1934年のメニューでした!
和暦にすると昭和9年頃でしょうか、72年も前のメニューです。

メニューの一番上には、
「TIFFIN A LA CARTE SATURDAY」
「DECEMBER 29 1934」

とあります。その横に
「Hours11.30A.M.to 2.00P.M.」
とありますので、どうやらメインダイニング「PRUNIER」のランチメニューのようです。

一番珍しかったのは、値段表記が○円○銭だったことです。
例えば、

Consomme Madrilene コンソメスープ     40銭
Grilled Woodcock 山鴨 鋼焼      1円50銭
Potato Salad ポテト サラド     30銭
Fraise Melba       苺アイスクリーム   60銭

ちなみにサラリーマンの月給は102円69銭だったとのこと。そして、日本語表記は、英語表記より難解ではございませんか!
「オルドウーブル仏蘭西風」→「オードヴル フランス風」
「トマト又ハ胡瓜サラド」→「トマト又はきゅうりサラダ」
「衛生ビスケット」→「健康ビスケット?」
などなど。

そういえば、以前宴会のお料理メニューカード作成をしていまして、「肉詰キャベツ」というものがございまして、何のことやらと悩んだのを思い出しました。答えは「ロールキャベツ」。なるほど、たまに社内で目にするレトロなメニューは、この時代から引き継がれてきたものなのですね・・・。

レトロでなかなか可愛いらしいメニューの表紙を、写真に撮っておきました。★K
「魚と貝の料理 プルニエ」「風雅なグリル食堂」
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by kaikanad | 2006-10-26 10:22 | レトロ通信